残り少ない平成ロマン

平成約30年を振り返って残り少ない平成の命の意味を考え。
様々な人がどんなロマンを描き、実現してきたか、諦めてしまったか?
それは、21世紀の喜劇と悲劇
情報技術とネット・スマホが行き着いた終着駅を哲学する。

ロマン 浪漫 ロマン もう終わっている?!

どんなことが、いつ、どこで、だれが、だれに
そんなこと考えても意味なし、顔なし
ロマンという事象はもう逝ってしまった?!
「歴史」が逝ってしまったように
愛と感動と勇気と夢の世界はもうこれ以上 No More
憎しみとディスとトリックと霊の世界じゃない It's so negative, but so real
真っ赤な顔のポンコツずら
風船顔の借り上げおじさん
毎日言い訳に忙しい政治家
先祖崇拝の儀式でこころのない宗教
何をやっても売れない儲からないビジネス
お金があっても今ほしいものある?
ただ、お金のためにお金を稼ぎ、お金のまま ありのまま
それが資本主義の帰結
平成は「個」の時代
個は星の屑ほどある、Uncountable
「多様化」通り越して、「無限化」している
だから、ロマンをひとりひとりの内にあって、
別に、取り上げて、どや顔するものじゃない
そういう時代いじゃない[ 平成をそうやって静かに眠たい目を閉じる
お笑いだって、物まねだって、ミステリー、マジック、メンタリストだって
音楽番組やドラマが消えていった、先細りになった、ラジオになったのと同じ


自分のこころの中にあるロマンをしっかり覚えておいて、育てていく
「平成」の次はそんな時代
組織とか、ボランティア、NPO NGO、そういう暑苦しいのもう勘弁


ということで、平成ロマン探しはみんな適当にやればいい
えっ、もうやってる
そうだね
そういうことね
おじさん 遅れてるね
ということで、ロマンは一人歩きします。
(終わったわけじゃないから)